拝啓、いつかのぼくへ
これが読まれているとき、ぼくは何歳ですか?
大人になった自分は想像できないけど。
今より幸せですか?不幸じゃないですか?
好きなものはありますか?
好きな人はいますか?
貧乏じゃないですか?
ちゃんと働いていますか?
大人になれていますか?
子どもはいますか?
そして………
僕はそこで読むのをやめた。
あの頃の僕が認めたであろう手紙はハッキリ言って読むに耐えないものだった。
だって、あまりに純粋なものだから。
もちろん過度な不安もないし、だからといって必要以上の期待もしない…何とも自分らしい少年さをあまり感じない奥ゆかしさ。
心配事といえば、ちゃんと暮らせているかとか、不幸になってないかとか、ほとんど親みたいな感覚になっていて。
これじゃ、どちらが大人かもわかりはしない。
あの頃の僕は覚悟ができている。
幸せになる覚悟も、不幸を受け入れる覚悟も。
とっても強い存在だ。
だからこそ、何だか申し訳ない。
現在の"ぼく"はものすごく中途半端な存在だ。
不幸か?も言われたらそうでもない。
好きなものはあるし、何とか日々の暮らしも成り立っているし、それなりに人生は楽しめていると思う。
少なくとも、好きな音楽とおいしい食べ物があって、それを共有できる存在がいることは一般的に不幸とはいえないだろう。
じゃあ、幸せなのか?と問われたら…。
それもそれで否定してしまうかもしれない。
生きてるだけで漠然とした不安感が付き纏うから。
うっすら世間と社会を嫌う自分がいる。
この世で生きる理由はあるかと聞かれたら、きっとそれはないと答えてしまうだろう。
そんな…生きる価値もそうじゃない理由もないような宙ぶらりんな存在。
小説だとしたら、盛り上がりどころでも絞めどころでもない、よくわからない地点にいるんだろう。
思い出というページは増えているんだけど、それがどんな意味を生むのかもよくわからない。
そんな無駄になってしまうかもしれない日々を今日も歩んでいる。
散りばめられた思い出は、まだ形を成すことなくて、何ならバラバラのままで消えてしまうのかもしれない。
不安とも無気力とも言えない…これまた中途半端な色の気持ちが喉の奥で詰まったように停滞している。
間違ってはいないはずだとは思う。
でも、正しいと到底言うことはできない。
あー全てにおいてハッキリしないのが情けない。
ごめんよ、いつかの僕。
君の質問にほとんど答えられそうになくて。
もしかしたらガッカリさせてしまうかな?
うん、きっと僕なら残念に思ってしまうかもしれない。
だから…あれ?
この手紙って……。
そして………
もし理想通りの人生じゃなかったとしても、生きてるだけでエラいと思います。
だって、ぼくは生きることがとても辛いから。
何年経って、それでも生き続けることができたら、自分を褒めてあげたいです。
ありがとう。いつかのぼくへ。
"いつか"が今から楽しみです。
…そうだ、あの頃の僕は生きてるだけで傷ついていた。
周りの声が棘のように刺さって、苦しい気持ちを無視して心が折れかけても、お構いなしに体を酷使していた。
止まってしまったら、壊れてしまいそうだったから。
本心に気づいてしまったら、何もできなくなってしまいそうだったから。
自分を麻痺させることでしか"ぼく"を守ることしかできなかった。
怖かったから。
何もなくなってしまう自分が。
だから、どっちつかずの現在の僕はある意味で驚きなのかもしれない。
ある意味で生きることを強いていた当時を思い返すと、ここまで意味があるのかないのかわからないものに囲まれていることはすごいことなのかもしれない。
きっと世界は好きじゃないし、強く生きたいとも考えられない。
それでも、人生を終わらせる気はない。
これだけは間違いないとハッキリ言い切れる。
それは、"いつか"を待っていた"ぼく"に少しでも救いを与えられるものだったのかもしれない。
小説とかでいえば、クライマックスでもエピローグでもないし、確実なことは言えないけどね。
それは"僕"には明言できないことなので…。
結論は"いつかのボク"に委ねたいと思う。
SPECIAL THANKS!:栗花落さん