ナツノヒ

UNISON SQUARE GARDENについて色々触れちゃうブログです。語彙がないから複合技でお送りしております。

【Dr.Izzy Report】※◾️☆△に込められた弾丸〜パンデミックサドンデス〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ああ 全部全部意味わかんない"

 

 

 

この記事は企画「Dr.Izzy Report」における8曲目「パンデミックサドンデス」について研究を尽くした記事である。

 

 

 

"君のその哲学がわかんない この地球はちょっと広すぎて"

 

 

 

 

この曲はUNISON SQUARE GARDENの6thアルバム「Dr.Izzy」の8曲目に収録されている曲であり、海外ドラマ「ザ・ラストシップ」の日本語版エンディングテーマにもなっている。

 

比較的早い段階でタイアップとなった関係もあり、「Dr.Izzy」発表前から様々なツアーで披露されており、特に2015〜2017年においてはかなりの頻度でセットリスト入りを果たしていた印象がある。

 

 

 

"勉強・仕事よりももっと わかりあうのが難しい"

 

 

僕自身にとっても、人生の辛いときに何度も何度も励まされた…大切な曲でもある。

 

もちろんそんな応援ソングではないであろうことは承知の上だ。

 

それでもどこか生きる辛さを共感してもらえたような気がして、不思議と心の支えになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"ああ 全部全部意味わかんない 君の理屈・正義がわかんない"

 

人と自分との違いが受け止められず、誰かに心ない言葉を浴びせられたとき、ソッとこの曲の再生ボタンを押すだけで少しだけ救われた気がした。

 

まるで僕の気持ちを代弁してくれているみたいで。

 

 

"この人生は解釈が多すぎて いくつ年を重ねたって生き方がまだわからない"

 

大人になれば自然と生きやすくなると思っていた。

 

そんな有りがちな希望は打ち砕かれて、年を追うごとに摩耗していく心。

 

人は成長するほど手にした力に躍らされて、より残酷な行動を起こしてしまう。

 

幼い頃は思いつきもしなかった解釈に打ちひしがれていた。

 

何より辛いのは、そんな言葉を口に出せずに飲み込んでしまわなければいけないこと。

 

 

"悲劇はとうにインクランク やりかけのこだわりはトランク 困る!僕が僕じゃなくなってく"

 

あの日の理想の自分になりたかった。

 

自由に生き、困っている誰かの助けになれる人間に。

 

自分のことを成すのは当たり前で、自分を認めてもらうために人の役に立つ。

 

そんな自立した人間に。

 

けれど、現実は存在証明すらおぼつかない。

 

自分の信じたものは一切に遮断され、得体の知れない何かを受け入れることを強要される。

 

飲み込んだ先に待っているのは、きっと鈍感で無慈悲な人間になってしまう未来。

 

嫌だ、幸せに無感情な人間になりたくない。

 

誰かの不幸を感じられないということはそういうことだ。

 

戦いはもうすでに始まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"もういっそ君のこと ※◾️⭐︎△してしまいたくなる"

 

そう、もういっそのことなら…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいや、待て待て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雰囲気に流されそうになったけど…何かおかしくないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えっと…そっか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※◾️⭐︎△って…どういうこと?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はこの「パンデミックサドンデス」に誰よりも救われた人間だと自負している。

 

自分と世の中との折り合いがつかないとき、その苦しみに共感してもらい、また立ち向かうためのひとつの答えを教えてもらった。

 

紛れもない人生で大切な曲のひとつ。

 

だが、それでも今までひとつだけ納得のできないことがあった。

 

そのため今記事では、長年の疑問に目を向けることをテーマにしていきたいと思う。

 

題して…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

"徹底検証"※◾️⭐︎△にふさわしい言葉を探せ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ネーミングセンスのなさは置いておいて、この記号に隠された言葉には、きっと何か意味があるはずだ。(ちなみに僕はてぃっくてぃっくだと読む)

 

決して簡単ではないが、前後の文脈から限りなく正解に違いものを導き出すこもは不可能ではないかもしれない。(僕はてぃっくてぃっくだと読む)

 

せっかく"研究"というおあつらえのテーマもあることだし、今回は(よっぽど順番変えまくる物好きでもない限りは)トリでもないわけだし、自分の今1番気になる事柄を掘り下げていきたい。(僕はてぃっくてぃっくだと読む)

 

 

 

仮説① "ポイ捨て"してしまいたくなる

 

まず※◾️⭐︎△に入る言葉が4文字になると仮定するとして、あえて伏せ字にしたとするならば、そこに物騒な言葉が入ることは間違いないと思う。

 

ただ、そこは我らがUNISON SQUARE GARDEN、直接的な危ない発言をあえてするとは思えない。

 

曲の持つ雰囲気を損なわず…かつどこか遊び心もあるような。

 

"視界の邪魔だ そこになおらないで"

 

なんて嫌なモノは目の前から消してしまうという健全な思考の持ち主である彼らなので、ゴミ箱に捨ててしまうなんて発想も生まれる可能性だってあるかもしれない。

 

歌詞に重きを置かないUNISON SQUARE GARDENだからこそ意味深に感じ取れるワードでもあり、楽曲の殺伐とした感じも損なわない選択ではないであろうか。

 

個人的には抜け感もあってけっこう好きなワードです。

 

 

 

 

 

仮説② "蹴り飛ば"してしまいたくなる。

 

"※◾️⭐︎△"に入る言葉を考えているときに"手をくだ"してしまいたくなるというワードがしっくり来るんじゃないか…というコメントをネットで見つけた。

 

なるほど。手をくだす…という言葉は介入していることを仄めかしながらも肝心の中身はどこかぼかしたような、そんな抽象的な雰囲気も漂っている言葉でもある。

 

歌詞の頭文字も同じ"て"であり、不思議とマッチするような感じもする。

 

ただ、何だかあまりにも予定調和すぎるというか…しっくり来すぎてしまう。

 

この考えを否定する気はないんだが、もう少しだけ治安の悪さが欲しくなった。

 

このバンドが"手"を使うときはあまり真っ向勝負をする印象がないので、何か違う要素を入れたくなってしまう。

 

…そうだ!手じゃなくて"足"を使えばいいじゃん。

 

手よりも足癖悪い方がガラも悪そうだし、より相手にしない感じが顕著に出せそう。

 

"手をくだす"と同様の表現で探していけば…"蹴り飛ばす"が1番しっくり来そうである。

 

この少し後に"全部蹴落としてしまいたい"って歌詞も出てくることだし。

 

暗にこの言葉が入ることを示しているんじゃないか説を推します。

 

これもこれで一蹴している感じがいい感じですね。100億点。

 

 

 

 

 

仮説③ "いたずら"してしまいたくなる

 

かわいい。

 

そこはかとないキュートな感じがso good。

 

こんな殺伐とした楽曲だからこそユーモアを忘れてはいけない。

 

このアラフォーロックバンドは今もなお「放課後マリアージュ」とかいうキュートな楽曲も書けてしまうのだから、こんなお遊びも許されてしまう。

 

…まああまりにも雰囲気違いではあるので、伏せ字にしてしまった説を推しておこうと思います。

 

 

 

 

仮説④ "めった刺"してしまいたくなる

 

これはあまりにも怖すぎるので、速攻でなしにしましょう。…なしにはするけど。

 

めちゃくちゃ気持ちよく心情にハマってしまったので、一応紹介だけしておこうと思います。(唐突なホラー感)

 

多分嫌いなものに対する思いってこれが1番強いと思うんだけど、それを華麗にスルーして相手にさえしないのがUNISON SQUARE GARDENの強さではないでしょうか。

 

もしかすると根底に隠された感情の可能性もあるので、一考の価値はあるだろうけど、多分この仮説はどうあっても当てはまらないような気がしている。

 

 

 

 

仮説⑤ "食いつく"してしまいたくなる

 

 

"たいらげるまで 食べ続ける"

 

晩餐はいつどこででも開くことができる。

 

嫌なモノは視界から消すために食い尽くしてしまおうという理屈でどうか許していただけないだろうか?

 

食べきれないなら残せばいいしね。

 

 

 

 

 

"誰にもわかんないことを解き明かしても 誰にもわかんないまんまでいいのかも"

 

ん…?

 

"一人ぼっちかも けど不思議と誰かが 同じ光を見るなんてことはある わかってよね"

 

何かが聴こえてきたような気がする。

 

"全部嫌になったなんて簡単に言うなよ 全部が何かってことに気づいてないだけ"

 

そうか、僕らにも知らないことはたくさんあるのか。

 

"年月は重なって 恋をして交わるから 今日は何とかなるぜモードでいいや"

 

歳月を重ねたとき、不意に物事の見え方が変わるときがある。

 

"全部意味わかんない"と感じてたことが、"全部が何かってことに気づいてないだけ"と思えるみたいに。

 

それがきっと人生で苦しかった瞬間を乗り越えることができたってことなんだろう。

 

"今日は何とかなるぜモードでいいや 僕の言葉がまた生まれる"

 

おそらく人生と苦しみは切っても切り離せない関係だ。

 

それは人と交われば交わるほど強く大きくなっていく。人生の規模が大きくなるんだから当然の結果だ。

 

でも、その苦さは向き合い方次第で変えることができる。

 

だから…その正体なんてわからないままでいいんだ。

 

僕らの人生にはおおよそ必要のないものなんだから。

 

一度しかない生を余すことなく享受するためには…楽しいで埋めた方がどう考えても良いに決まってる。

 

これが今回の研究の成果なのかもしれない。

 

 

それでも、まだ…

 

"ああ 全部全部意味わかんない 君のその哲学がわかんない"

 

この思いが存在し続けることも事実でしかない。

 

"この人生は解釈が多すぎて どの道選んでもきっと生き抜くことが難しい"

 

僕らは進むしかない。たとえ、行き着く先が悪夢ような結末だとしても。

 

"じゃあ全部全部マジわかってる フリだって構わずに笑って なら僕は異常だって構わない!"

 

思考を停止した健常者になりきるか、自分の言葉を紡ぐ異常者になろうとするか…間違いなく僕は後者を選ぶ。

 

だって、そこにある常識は多数が生きやすくなるためだけの正義しか存在しないから。

 

誰しもが自由に思いを紡げない社会は酷く窮屈なものになるのではないだろうか。

 

"多数が正義じゃないのでは?"

 

そんな最新版にアップデートされた彼らの言葉は、きっと2016年から7年経っても本質は変わっていない。

 

別に答えはいらない。わからないままでもいい。

 

ただ、それが正解だって認める気持ちは今後も湧いてくることはないと思う。

 

"冷淡たる時計と引き換えに 思考神経磨り減っていく サドンデスの結末は?"

 

少数派の僕らの言葉はどんどん使えるものが減っていくのかもしれない。

 

結末は未だにわからない。

 

だったら、もう"※◾️⭐︎△"しちゃうってことでいいんじゃない?

 

 

 

「Dr.Izzy Report」、私の研究発表はここまで。

 

ご清聴ありがとうございました。