"ごきげんよう どうかしたんだろ? 顔を見れば一瞬でわかるよ"
"リプレイ、まだ平気かい? 止まれはしないんだよ 無我夢中に理由は毛頭ない"
"I miss youを通過してどれぐらいだろう"
"Sunrise 情熱が街と遊んで疲れるまで ウララ 痛快に吠える 吠える wao"
"かくしてまたストーリーは始まる"
企画「Ninth Pencil」もいよいよ大詰めを迎えております。
10日目である本日の楽曲は「kaleido proud fiesta」、UNISON SQUARE GARDENの17thシングルでもあり、リード曲やタイアップ曲を抑えて、アルバムの終盤に収録された大切な曲です。
シングルツアーの表題曲となったり、様々なツアーの中心部にセトリ入りしたりするなど、バンドとしても重要なピースを担っている曲でもあります。
また、昨今の傾向として、「10% roll,10% romance」や「春が来てぼくら」など…後半のトラックに収録されるシングルは、アルバムにおいても非常に大きな役割を果たした印象が強いです。
そんな本曲はどこをどう切り取っても、一つの文章として成り立つような強さを持っています。
ただ、この曲に触れていくなかで、僕が一番心を震わされた瞬間は揺るぎなく変わることがありません。
今回はその意味とこの曲でなければ表現できなかった世界観について書いていきたいと思います。
言わずと知れたロックバンドと縁深いアニメ「TIGER&BUNNY」…ユニゾンの知名度を急上昇させたOP「オリオンをなぞる」や劇場版の主題歌となった「リニアブルーを聴きながら」「harmonized finale」、さらには彼らとアニメの関係性を表した「I wanna belive、夜を行く」など、これまでたくさんの楽曲が生み出されていった。
今回取り上げている「kaleido proud fiesta」もその1曲であり、2022年にNetflixで配信された続編「TIGER&BUNNY2」のOPに起用された。
"かくしてまたストーリーは始まる"
この歌詞だけでこれまでの歩みを全てを集約できるような…そんな劇的な始まりを感じさせる幕開けは確かに続編の主題歌として申し分ないものであった。
ただ、僕が今回フューチャーしたいのはもう少し後の話のこと。
それはまさにクライマックスである第25話(最終回)「Today is not just tomorrows yesterday.
(今日は、単なる明日の昨日ではない)」の1シーンである。
2年近く前に配信された作品ではありますが、ここからは結末のネタバレも詳細に含みますので、今後視聴予定のある方はご注意ください。
最終回までの内容を大まかに説明すると、この作品には特殊能力者「NEXT」と呼ばれる人々がおり、その能力を活かした"職業"としてヒーローたちがシュテルンビルドという街を守っていた。
2期の後半では、「NEXT」能力者が暴走する事件が多発し、世間では「X」と名付けられた感染症の可能性があることが示唆され、「NEXT」能力者を迫害する風潮が高まっていた。
この物語の主人公であるバディ「タイガー&バーナビー」のワイルドタイガー=鏑木・T・虎徹とバーナビー・ブルックスJr.をはじめとしたヒーローたちも活動の休止を余儀なくされていた。
そんななかで、感染症「X」の正体が脱獄囚グレゴリー・サンシャインの"「NEXT」を暴走させる"能力とそこに目をつけた犯罪組織「ウロボロス」の策略が原因であることに気づく。
紆余曲折あり、ついにグレゴリーとウロボロスの企みを突き止め、彼らとグレゴリーが暴走させた最強のNEXT犯罪者である非合法ヒーローL.L.オードゥンとの最終決戦を迎える。
だが、グレゴリーを追い詰めたワイルドタイガーは不意を突かれて、自身の能力である「ハンドレッドパワー(一定時間身体能力が100倍になる)」を暴走させられてしまい、オードゥンと同様に見境がないまま暴れ回ってしまう。
同じ「ハンドレッドパワー」を持つ相棒のバーナビーが止めようとするものの、彼の能力はすでに使用済みであり、発動後1時間は能力を使うことができない。
皮肉にもこれがテレビ中継されていたことで、「X」が感染症ではなく「NEXT」能力によるものであることが証明されるが、仲間のヒーローも救助活動で手一杯であり、誰も助けに向かうことはできなかった。
無敵のオードゥン、逃亡するグレゴリー、そして暴走する虎徹。
これらを相手取ることは能力を発動できないバーナビー1人では不可能であり、一時的に協力関係を結んだダークヒーローのルナティックも戦闘不能になってしまう。
もうダメかもしれない。
仲間もシュテルンビルドの市民も相棒であるバーナビーもそう感じたとき、思いもよらない展開が訪れる。
そう、虎徹の暴走がおさまったのだ。
能力が解けたことに安堵する仲間たち。
しかし、その後の虎徹の一言で衝撃が走る。
虎徹は「NEXT」能力を失っていた。
以前より能力が減退していた虎徹は、グレゴリーによって引き起こされた暴走によって、全ての力を使い切ってしまったのだ。
「TIGER&BUNNY」シリーズを通して、虎徹の「NEXT」能力の減退という要素が大きく取り上げられていた。
1期後半より減退の兆候が現れており、元々5分間だったハンドレッドパワーの持続時間も1分間まで短縮されていた。
それでも、2期になると慣れてきたようで、上手く能力を使いこなしている姿が多く見られていた。
同時にバディシステムを採用したヒーローサイドにとって、バディの先達として相棒バーナビーとの関係性についても安定感を感じさせる場面が印象的であった。
そんななかでの能力の"消失"…仲間たちにとっても突然の出来事に思わず意気消沈してしまう。
だが、敵は待ってくれない。
能力が使えないヒーローと能力が発動できないヒーローのバディはオードゥンという最強の敵に徐々に追い詰められていく。
しかし、ここでバーナビーの能力が回復し、ついに形成が逆転する。
バーナビー自身も過去の戦いで足を負傷しており、能力発動時に原因不明の痛みに苛まれているが、それでも構うことなく能力を発動する。
少しずつオードゥンを追い詰めていくが、激戦のダメージからスーツが破損しまったことで、ナノテク素材による装着が解けてしまう。
その瞬間…
「バニー!俺のを使え!」
虎徹が自身のスーツのブレスを投げると、それを装着したバーナビーがワイルドタイガーのスーツを身に纏う。
『TIGER&BARNABY!HERO MODE!!』
着脱式の他のヒーローとは異なるナノテク素材によるブレス式の装着スーツだからこそ、実現した展開…まさにタイガー&バーナビーというバディを表したような存在がこの土壇場で登場した。
その状態でバーナビーが渾身のキックを放つと、オードゥンは戦闘不能となり、今度こそ拘束に成功する。
逃走したグレゴリーもワイルドタイガーのファンであるジョリーが通報したことにより、因縁あるヒーローのゴールデンライアンと相棒のブルーローズによって確保される。
かくして、虎徹の能力消失という大きすぎる代償はあったが、グレゴリーによる他の被害者の暴走も解除され、事件は無事解決へと至った。
以上が最終回のあらましであるが、僕はこのシーンに大きな意義を感じた。
それは人生は選択の連続であり、一見過酷で価値の低い道だと選んだとしても、選んだこと自体に大きな意味を持つということ。
最終回の結末は決してハッピーエンドではないと思う。
虎徹は能力を失ったことでヒーローを引退することを余儀なくされ、バーナビーの足も完治したわけでない…何より「タイガー&バーナビー」というバディヒーローの活躍を見ることはおそらく今後はなくなってしまうのだろう。
11年という長い月日をかけて、2人の歩みを描いてきたからこそ、その重みを改めて実感させられてしまう。
しかし、この結末は能力が減退しても、ヒーローであり続けることを虎徹が諦めなかったから迎えた結果でもある。
1期の最終回で引退したものの、2部ヒーローとして復帰し、劇場版「The Rising」で2部が廃止されてからも不屈の心で1部復帰を果たしてみせた。
"強いだけが正義ならば ヒーローなんていらないし"/I wanna belive、夜を行く
それは虎徹がただ強いからではない。見知らぬ誰かの…シュテルンビルド市民のために動くことができる男だから、誰よりもヒーローであろうとしたからこそ、1分間という能力の制限にも折れることなく活動を続けることができた。
そこに行き着くまでに様々な困難もあったが、虎徹は娘をはじめとした家族や仲間であるヒーローたち、そして相棒であるバーナビーに支えられながら…自分の信じる道を選んできた。
茨の道を進んできた結末は、決して満足のいくものではなかったかもしれない。
だが、例えばバーナビーの能力が暴走してしまったとすれば、暴走状態から脱することもなく満身創痍のヒーローたちになす術はなかっただろう。
もっと言えば、スーツを破壊されてしまったバーナビーが再び戦闘可能となるためには、ワイルドタイガーのスーツを装着できる必要があり、これは過去の虎徹のアイデア(番外編でスーツの認証システムにお互いのデータを登録していた)によって実現した方法であった。
この事件で最も過酷な結末を迎えたヒーローは間違いなくワイルドタイガーであろう。
だが、事件解決に向けて、最もなくてはならない存在であったのも鏑木・T・虎徹という男だった。
"能力減退"をしており、"相棒も装着可能なスーツ"を纏った虎徹がいなければ、最悪の場合はヒーローが敗北する未来もあったのかもしれない。
さらにいえば、逃亡したグレゴリーを発見したのは街頭ビジョンでワイルドタイガー応援していたジョリーであり、虎徹がヒーローを続けていなければ、この勇気ある通報も実現しなかったかもしれない。
このように最終回の事件解決に向けた様々な要因には、ワイルドタイガー=虎徹が関わっていた。
決して爽快感ある最終回ではなかっただろう。
ビターな結末に何とも言えない気持ちを抱えてしまった人も多いと思う。
けれども、1人のヒーローがもがき続けた歩みは確かに意味ある結果に昇華することができたのだと…そう断言することができる。
人生とは選択の連続だ。
選ぶことで次の道筋が決まり、選択権が自分にある限り、続けることも終わらせることもできる。
その結果をどう享受するかも自分次第である。
望んだ選択で苦しみ続けるか…望まない選択をして楽になるか…どちらが幸せと感じるかは人それぞれであろう。
"かくしてまたストーリーは始まる"
この歌詞を聴いたとき、「TIGER&BUNNY」シリーズの再開をこれ以上なく体現したフレーズであり、同時にロックバンドが新しいステージに突入したことを感じさせた。
劇場版の「The Rising」で一区切りを迎えたからこそ、新たな展開を始められたことを意味しているようにも思う。
何かを新たに始める権利は何かを終わらせた者にしか得ることはできない。
そして、それは選び続けた者にしか訪れることのない瞬間でもある。
"今日が今日で続いていきますように"/harmonized finale
最終回のタイトルである「Today is not just tomorrows yesterday.(今日は、単なる明日の昨日ではない)」にもあるように、"今日"は決して過去であるだけではなく、"今日"を何度も紡ぎ続けることで"明日"を描くことができるのだ。
「タイガー&バーナビー」というバディが本人たちの意志とは関係ない部分で解消されてしまうことは悲しいけれど…それは2人が常に後悔のしない選択をしてきたからこそ迎えた結果でもある。
きっと彼らの活躍がなければ、市民やヒーローたちが安堵するような景色を見ることはできなかったであろう。
"今を 今を 今を 今を 誇れるかだろう!"
決して望んではいない結末に対しても、できる範囲で足掻き続けることを決めた虎徹。
1度は怪我で引退することを決めたが、痛みを乗り越えた経験を糧にし、虎徹のように可能な限りヒーローを続ける選択をしたバーナビー。
2人の選択が正しかったのかはいずれわかると思うが、その結果に満足できるかどうかは選んだ"現在(いま)"の心情に左右されるのかもしれない。
「隣にはいられないけど支え続けるよ」
最後のやり取りで虎徹がバーナビーにかけた言葉からも伝わるが、離れていたとしても「タイガー&バーナビー」というバディは揺るぎないことが示されていた。
『Are you happy?』
ラストシーンで事件現場に落ちいていたぬいぐるみから発せられた言葉に…バーナビーは静かに微笑みながら答える。
「Maybe(多分ね)」
選び続けた先の結果を受け入れた彼の答えは、まさに今の人生に誇りを持っているからこその思いであるようにも感じられた。
"かくしてまたストーリーは始まる"
再び立ち上がるバーナビーを映し出したカットで主題歌「kaleido proud fiesta」が流れる。
まさにこの終わりが新たな始まりだと言わんばかりに。
そして、手を振る虎徹のもとへと走っていく。
2人が同じ場所に並んでいないラストショットはバディが離れ離れになってしまうことを形容しているようで悲しみも感じさせたが。
同時に彼らの人生の新たな始まりも感じさせるようだった。
「タイガー&バーナビー」というバディヒーローは今日を持って解散するのかもしれない。
ただ、「TIGER&BUNNY」という作品の世界観においては、人生における一生のバディとなっていくのだろう。
そんな彼らに対して、祝祭の鐘を鳴らすように新たな始まりが告げられた。
生きている限り、人生は選択の連続だ。
だからこそ、選べることは尊いことなのであり、生き続けなければ選択することはできない。
望まない結果でも、描いた理想じゃなくても、生きているだけで人はまた何度でも仕切り直すことができる。
彼らの活躍の続きが見れることを祝った楽曲は、彼らの人生が続くことへの祝祭の意味も加わることとなった。
もしかしたら僕らが彼らの"快進撃"を垣間見る機会はもう実現しないかもしれない。
ただ、ヒーローたちの人生が変わらずに続いていくという…そんな僅かな救いだけでも祝う価値は十二分にあるような気がした。
バディじゃなくても、ヒーローじゃなくても、彼らは市民を救い続ける。
ちっぽけでもそんな確信があれば、祝うことに躊躇することはないんだろう。
"「だって本気なんだから」 理由はそれだけで"/リニアブルーを聴きながら
長い年月をかけて、「TIGER&BUNNY」を愛してきたからこそ、自信を持って彼らの幸せを願うことができる。
今日このときもシュテルンビルドという街はきっと変わらずに…ヒーローが平和を守っているんだろう。
そう…彼らが助けを求める誰かの声を探し続ける限り。
"ココデオワルハズガナイノニ"/オリオンをなぞる
2011年に「TIGER&BUNNY」の放送が開始され、OPとしてUNISON SQUARE GARDENの5thシングル「オリオンをなぞる」が起用された。
この曲を切っ掛けにユニゾンの知名度は広まり、今もなお活動を続ける大きな基盤となった。
これがバンドの転機となったことはファンの間では有名な話だろう。
ただ、そこまでの歩みは決して順風満帆ではなかった。
過去にメジャーリリースしたシングル4作、アルバム2作は思うように振るわず、本人たちや周囲が納得するような結果を出すことができなかった。
作詞作曲を担う田淵智也にとっても、バンドの音だけで制作するのではなく、ストリングスなどのメロディを多用するという大きな勝負に出た楽曲となった。
結果はここまでバンドが続いてることで察することができるが、当時の時点では彼らにとっても様々の"選択"を迫られていたのではないかと思う。
自分たちの理想とする音を取るのか、それともより鮮明に彩ることで強固な音を作り上げるのか…一概にどちらが正解とは言えないが、選択一つでバンドの歩む道は大きく変わっていくだろう。
個人的には彼らが楽曲の性質に拘らなかったことで、"ロックバンドは楽しい"という至上命題が揺るがずに今日まで活動を続けることができたのだと考えている。
その結果、たくさんの人が救われてきた事実を鑑みると、きっとUNISON SQUARE GARDENに伝えきれないほどの感謝の言葉が存在しているのだと思う。
"すっこんでる場合じゃない。お祝いだからさ。"
彼らは今年結成20周年を迎える。
FC限定ツアー「UNICITY Vol.2」を皮切りに様々な試みを今回も企んでいるようだ。
結成日である7月24日には日本武道館での記念ライブが企画されており、そこから怒涛の3days公演が予定されている。
今度はロックバンドが盛大な試みで大きな節目を迎える。
"未来を迎えにいく"
それは気づいたらそこにあるものなんじゃなくて、彼らが"今"を選び続けてきたから実現した未来なんだと思う。
"かくして快進撃ははじまった"
これからもきっと変わらずに"ロックバンドは楽しい"。
だからこそ…
"祝祭の鐘は鳴る"
"今"はただ何も考えずに純粋に祝う気持ちを届けていきたい。
それが僕らの今日を繋いで、幸せで揺るぎない明日に繋がっていくはずだから。
その瞬間まであとほんのわずか。
僕はきっと、九段下の約束の場所にいるだろう。
ロックバンドがでっかい音で祝う姿を目に焼きつけてみせる。
街を守り続けるヒーローたちの分まで。
それが次の"プロローグ"になると信じて。
ほら、きっとそうだ。
すでに新たなストーリーの幕開けを確信している。
まだまだロックバンドの物語に飽き足りることはないのだろう。
ああ、今なら臆面もなく言えそうかな。
"ロックバンドは、やっぱり楽しい"
企画「Ninth Pencil」もいよいよ終わりが近づいてきました。
最後までぜひお楽しみください。