お久しぶりです。すっかりブログを放置してしまいすいません。
激動の2020年もそろそろ終幕が近くなっておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
僕は職業柄仕事納めが早かったので、ありがたいことにゆったりした年末年始を過ごすことができています。
まあ今年もそれなりに大変だったので、今ばかりはゆっくり休みたいところ。
何と普段はめんどくさがってやらない大掃除も終わり、あとはカウントダウンライブを迎えるだけ!と思っておりましたが、とても肝心なことを忘れておりました。
…Patrick Vegeeの後編を書いていないことに。
言い訳をさせてもらえるなら、主に理由は2つあります。
1つは単純に忙しかったこと。10〜12月の前半までは仕事やその他諸々でまあまあ忙しく、ブログを書く時間が取りにくかったんですよね。
2つ目は想像以上にこのアルバムの記事が長くなってしまったこと。
元々は1つの記事に収まるぐらいの量で書くつもりだったんですけど、自分の思いをひたすらに書く殴った結果、気がつけば前編は約2万字の大ボリュームになってしまいました。
そうなると、後編も1万字越えは確実…こりゃ相当のエネルギーを割かねば書けないぞ…ということでここまでズルズル引き伸ばしてしまいましたとさ。
この記事を書き終えるまではライブレポ書くのも気がひけるし…なんてことも考えていたら、結局ブログ自体も停滞してしまいました。
はい、というわけで言い訳タイムは終了です!
ここからはようやくPatrick Vegeeのディスクレビュー後編にいきたいと思います。
前編でも書きましたが、アルバムの全体像については別媒体で執筆しておりますので、そちらをご覧ください。
前編では1.Hatch I need〜6.夏影テールライトについて書いていきました。
後編は7〜12について。シングルも多いし、きっと前編より量は少なくなるはず…だよね?
7.Phantom Joke
7曲目は16thシングルでもある「Phantom Joke」です。
前曲「夏影テールライト」の"幻に消えたなら ジョークってことにしといて"の歌詞から繋がる流れは、ある意味で今作1番の高低差ある繋ぎとなっていると思います。
優しげなラブソングから激烈なアッパーソングに繋がる曲間、はっきりいって歪なんだけど、その違和感が逆に互いの曲の魅力を引き上げているのが何とも不思議な現象ですね。
正直曲のタイトル当てクイズが投稿されたとき、これでちゃんと繋がるの?感がすごかったんですが、聴いてみると歌詞にちゃんと意味があるんですよね。
恋が成就しない様=幻=人生の見えない障害という図式を成り立たせることで、"幻"という言葉をツナギにして一つの流れが完成しました。
端から見てるとよくわからないと思うんですが、聴いてる側としてロジックを理解すると、いつの間にかそれを受け入れてしまう。
気がつけばこれ以上ない組み合わせにしか聴こえなくなるのは、音楽の為せる妙技でしょうか。
まさにグチャっとしてる奥底の華麗なる構成を垣間見た気分です。
さり気ない部分ですが、もしかするとアルバムのコンセプトの中核を担う一つなのかもしれません。
曲としての魅力は言わずもがなでしょうか。
エッジの効いたギター、フルスロットルで奏でられるベース、おおよそ人間技とは思えないドラム…今のUNISON SQUARE GARDENが放つ最大出力の演奏を味わうことができます。
三拍子と四拍子が切り替わる音楽とか、よく演奏できるよな…といつも思ってしまいますね。
歌も高音が続く上にテンポも早い、そんな激ムズ曲を歌い上げる斎藤さんにもいつもながら驚嘆の声をあげてしまいます。
さすがに演奏回数が少ない時期は苦労している印象も見受けられましたが、場数を踏むほど自分のものにしていたので、さすがの一言です。
この曲は発売時にまさかのB面ツアーをしていた影響で、当時はまったく披露する機会を与えられず…ようやく連発されると思った矢先のコロナの影響。意外と不遇な印象が拭えない曲です。
その影響で人気投票1位を取ったりもしていましたが、今年のオンラインライブで万を侍しての全国への披露と相成りました。
その後の活躍はここに明記する必要もありませんが、2021年もその勢いはまだまだ失速しそうにもないので、これからの登場機会も楽しみに待ちたいと思います。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
前編を読んだ方は覚えていらっしゃいますでしょうか?このクソダサタイトルのコーナーを。
他のブログとの差別化を図った結果、うちは歌詞は攻めていこう!でも、それだけでパッと目立たないしな…そうだ!!何かタイトルをつけてみようか。
…なんて浅はかな考えから、死ぬほどコメントのしずらいタイトルを冠したコーナーが作られました。死にたい。
とはいえ、もはや折り返し地点にまで来てしまったので。
恥も外聞も捨て去って、このまま邁進していきたいと思います。いっそ殺してくれ。
というわけで筆者がビビッと来た歌詞を取り上げて、紹介していくのがこのコーナー。
今回の歌詞はこちらです。
"熱くなってもご注意 悪はたまに正義を隠してる"
Phantom Jokeといえば、僕も一度音楽文で取り上げたことありますが、"生"や"愛"の部分がピックアップされがちな曲であると思います。
"まだ世界は生きてる"
"言えそうで良かった 「まだ愛していたい」"
これは世の理不尽に対するユニゾンなりのひとつの答えだと解釈しているんですが、この理不尽というのがけっこう厄介なもので。
理不尽は隠せるんですよね。そして、隠すことが上手い人ほど厄介な使い方をしてしまう。
そもそも「理不尽」という言葉を検索すると…
理にかなわない仕方で行うこと
と出てきます。
要は人に説明できないことをしているというイメージで考えてもらえれば良いと思うんですが、そういうときに人間が行う方法は正直にそれを話すか誤魔化そうするかの2択なんですよね。
そして、他人と関わるときに行われるのが圧倒的に後者だと思っています。
耳心地の良い言葉やそれらしい内容でまとめて、話の本質を悟らせない。
そして、自分の思うように相手をコントロールすること。
昔から上手い話には裏がある…なんて言われていますが、そこにはこんなロジックが隠れているような気がしています。
これが自覚ありならまだ良いんですが、厄介なのは無自覚でこれをやってしまうこと。
経験上、大抵は周りが見えていないことが原因だと推察しますが、世の中のこと全てを自分の思った様にしたいというエゴイズム全開で生きてる人は一定数いるみたいですね。悲しいことに。
だからこそ、自分が正しいと思ったことが本当にそうだとは限らない。
一見したことがその本質の全てを表しているとは、少なくとも今の僕には信じられない。
だからこそ正義は疑え、信じたいのならば調べ考えろが持論だったりします。
この歌詞も逆説的に同じことを言っているのだと思っていて。
悪というフィルターを通して見ると、全てが間違っているように思えるかもしれない。
けど、曇らない目で見てみると、そこには確かな正しさが映っている。
正しいからこそ辛く厳しい現実がそこにある。
それを乗り越える強さを身につけるべきだ。
そんな風に言っている様に聴こえました。
まあ全部僕の予想だし、真実はそうだとは限りませんが。
少なくともこのフレーズを僕はめちゃくちゃ前向きに受け取ることができました。
8.世界はファンシー
ようやくここまでたどり着いたって感じですが、本作のリードトラック的存在でもある「世界はファンシー」です。
8月の配信ライブ後に投稿され、いろーんな意味で物議を催したこの曲、当時はまさかリード曲なんて思いもしなかった。
ちなみに「世界はファンシー」がリード曲になったのはメンバーの意向が大きかったとのこと。田淵的にはいい曲だけど、数あるうちの一曲…ぐらいの印象だったのかもしれませんね。
「Cather In The Spy」の「天国と地獄」もリードになったのはメンバー間での話がきっかけみたいなので、マイナー調の曲は田淵的にはあまりリードに推さない傾向にあるのかな?それともメンバーがバランス取って決めたのでしょうか?
確かにこの曲はリードらしからぬヘンテコな曲ではあります。
最大の特徴は早口かつ難解な歌詞。
あ、あ、あ、あ、あ、ああああ!
なんて言葉にならない歌詞が連発される曲は見たことないですし、
"Continue? とっくシータタンジェント ロールシャッハって魂胆なんだ Sha-ba-da-da-da 話そうぜ"
なんて正直意味がわかりません。
極め付けは"某日 とかく喝采を浴びせ〜"からの早口言葉のような歌詞の応酬。
"担当者不在ならばその間に 口実作って以上終了だ"
みたいに「ここで会ったがけもの道」の歌詞を踏襲してることにニヤッとしてしまいますが、それ以外はまあ語感以外はちんぷんかんぷんです。
前作「MODE MOOD MODE」の「フィクションフリーククライシス」を彷彿とはさせますが、難解さはそれ以上な気がしています。
とにかくこの曲は説明が難しい。
正直曲を聴いてもらった方が幾分かわかりやすいような気がしている。
とはいえ、シンプルに曲はかっこいい。
「Patrick Vegee」はけっこうベースにフューチャーされたアルバムだと思ってるんだけど、この曲でもメロディにおけるベースの役割が重要だと思う。
それがまた他の曲と違った趣きを生みだし、例えれば妖艶な雰囲気を纏っているような印象がある。まあそれで一層難解さを増してるんだけど。
斎藤さんの"My fantastic guitar!"からのソロもめちゃくちゃにカッコ良い。ていうか今作は斎藤さんがこだわり抜いたのもあって、全編ギターのメロディが心地良いんだよね。
ちなみに斎藤さんはこのフレーズを見たとき、どんな気持ちなんだろう。
内心苦笑いな気はするけど、本気で思ってそうだから、今は自信満々で繰り出してる気はします。笑
個人的には田淵の「ウチの斎藤くんはすごいんだぞ!」っていうダブルミーニングだと思っています。
あと何回観てもライブが楽しいんだわ。
この曲の難解さを押し上げてるのがMVですね。
いや、逆によくこの曲でMVを作り上げたというべき。
全斎藤宏介ファンを発狂させたHAPPYダブルピース✌️😎✌️に、ラップに包まれた田淵、バケツを被った貴雄、あとゴリラと怪しいお姉さん…うん、ツッコミどころしかねーな。
個人的には最後のVHSが懐かしさを感じて好きなんですが(20年前までこれで録画してたんだよ?)、全体的に変に変を塗り重ねる超個性的なMVとなっております。
ただ、斎藤さんがいうようにUNISON SQUARE GARDENにしかできないヘンテコなのにカッコ良い曲には仕上がっていて。
まさにグチャっとしてるのに心地良い今作のリードトラックに相応しい曲になっていると思います。
あ、あとカラオケで歌うと結構楽しいです!舌が死ぬけど。
早口は採点ゾーンじゃないので、何だか気兼ねなく歌えます。呂律が回らなくなるけど。
歌い切った後の爽快感はなかなかですよ。その前に心折れそうになるけど。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
心はもう折れてポテチみたいにバキバキなので、気にせず進んでください。
今回のピックアップポイントこちら。
"一丸っていうのは ただ丸くすることなんだっけ? ロックンロールの方が ゴツゴツしておいしそうだな"
難解な歌詞の中で、まず1番最初に印象に残ったのがこの歌詞なんですが。
割とお気に入りのフレーズでもあります。
田淵智也は"音楽"や"ロックバンド"に対して、並々ならぬ思いがあるのは、みなさん周知の事実だと思います。
決して世間から必要とされなくても、そこに意味があるはずだと信じているし、そこに救われる人生がきっとあるはずだと疑いもなく生きています。
この記事の前編で、ロックバンドははみ出すものだと表現しました。
きっと世の中の常識からすると、当てはまらない部分がたくさんあるだろうし、小さく収まるなんてことは絶対にあり得ません。
ただ、はみ出しものは目立つし、大概の場合多くの人から認められなかったりする。
まあその"多くの人"はそれっぽい意見に追随してることがほとんどですが。
好きを好きということに理由はいらないはずが、気がつけば周りの意見を伺うことになってしまっている。
正直嫌ですね、少なくとも僕は。
そんなときに声高に同じ好きなものの揺るぎない魅力をいの一番に叫んでくれる。
それがたまらなく嬉しかったりするんですよね。
ロックンロールには君が好きになれるほどの素晴らしいものなんだよ
そう言って貰えたような気がして、勝手に胸を張れてしまうのです。
これをリード曲という大きな媒体でやってくれたこと。
個人的にはけっこう大きな出来事だったりします。
このご時世でロックバンドのパワーを再認識する。
後付けで勝手につけられた役割だとは思いますが、改めてそれを十二分に果たしたアルバムだと思います。
9.弥生町ロンリープラネット
「世界はファンシー」の"A fancy is lonly!"から始まるのは「弥生町ロンリープラネット」です。
全構成のなかで1番さり気ない繋ぎではあるんですが、これまた曲感の違いが如実に出るので、なかなか不思議なつながりとなっているように感じます。
何よりここからアルバムの空気感がガラッと変わるので、繋ぎといっても少々おまけ感が強いようにも思ったり。
シングル曲を除けば、「Patrick Vegee」で1番に披露された曲でもあるのが「弥生町ロンリープラネット」です。
配信ライブでは、まさかこんなゆったりした曲でライブを締めるなんて…と考えていた自分の度肝を抜いてくれました。
そんな感じで壮大な伏線のイメージが拭えない曲ではあるんですが、楽曲としてテーマは「冬の終わりと春の訪れ」を描いていると思います。
曲を聴いているだけで、雪解けの景色とそこで生活している人々の様子が想像できます。
タイトルにもある"惑星"というのも、何気に初めて取り上げられるテーマな気がしますね。
星とか月とか、けっこう宇宙的なテーマの曲も多いなかで、これは意外だったりしますよね。
"惑星"という永遠に交わらないはずの僕らが、折り重なる奇跡が気がつけば日常になっている…そうな超新星みたい現象を優しく表現している曲でもあります。
タイトルが発表された当初から話題になっていましたが、実は少女漫画からインスパイアされた曲でもあるらしいです。
やまもり三香先生の「椿町ロンリープラネット」という漫画だそうですが、あいにくまだ僕は序盤しか読めておらず、どこら辺にその要素があるのかよくわかっていないという…。
全話無料のアプリがあるんだけど、分割の仕方がなかなか酷くてね…読書意欲を削がれてしまうのだよ。(内容はバリバリ興味ある。本当だよ。)
ユニゾンには、こんな感じで漫画が元となって作られた曲もけっこうあるらしいです。明言されている楽曲は少ないですが。
現状公表されているのはこれ以外に2曲、
「8月、昼中の流れ星と飛行機雲」が同じくやまもり三香先生の「ひるなかの流星」
だそうです。どちらも僕はまだ未読なので、詳細はわかりませんが、ユニゾンが作品に寄り添った楽曲を作ることは今更声高に言わなくても良いでしょう。
あとは作品名は発表されていませんが、「ラディアルナイトチェイサー」も元ネタがあるみたいですね。
"本当の気持ちは伝えないことが 当たり前だと思っていたから"
まさにこれまでの田淵のマインドを表している歌詞だと思うのですが、
"追いつくまでごめんね ちょっと時間がかかるよ"
こんな気持ちにさせてしまったのは、15周年を経た変化があったのか、それとも他の要因があったのか…審議はわかりませんが明確な変化を感じでしまいます。
それに「世界はファンシー」までは一つのピークを見せていたアルバムが、この曲からはまた違った顔を見せているんですよね。
この曲を筆頭にどこか温かな印象を与える楽曲が揃っている。
これは完全に田淵の戦略だと思いますが、今までのユニゾンではあり得ないメロディや歌詞が乱立しているように感じました。
ここにもどうもひとつの意図がありそうなので、残り3曲で解説していけたらと思います。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
どうですか、そろそろ慣れましたか…?僕はまだまだ時間がかかりそうです。
さ、今回のポイントはこちらです。
"理由はうまくいえない方が 大切の理由になれそうだ"
大切なことは言葉にできるほど安っぽいものじゃないんだよ、これに尽きると思います。
UNISON SQUARE GARDENというバンドの良さを説明しようとしても、なかなか上手い言葉が見つからないんですよね。
こうやって文字でいくらでも書くことができるし、必要なら言葉にもしてみせる。
でも、今のところしっくりくる言葉には実は出会えていなくて。
好きの理由を一言で表すのってめちゃくちゃに難しいんだなって思います。
だからこそ、こうやって文章をひたすら書いて、自分のなかを蓄えているわけなんですが。
そういう意味で欲しい言葉はきっと一生見つからない気がしています。
自分にとっての大切って、生半可なものではないな〜とここ最近改めて思っていて。
今までたくさんの好きに巡り会ってきたけど、現在まで残ってるものって本当に少数なんですよね。
それには様々な理由があったけど、最終的には自分が意図的に引き離したものばかりでした。
好きでもないものと一緒にいたくない…そんな思いは人一倍強いです。
そんなこんなで最近はもはやロックバンドはユニゾンとそれに関連するバンドしか聴かなくなってしまいましたが、考えてみればそこに理由ってないんですよね。
大雑把に好きだから!って言ってしまえばそれまでなんですが、他に明確な理由は一切存在しません。
そりゃ言葉にすればいくらでも理由は作れますが、それが根本ではないというか。全部後付けなんですよね。
あの日見た学祭のライブで引き込まれて、あれよあれよという間にロックバンドの魔法にかけられてしまった。
きっかけは言えるけど、理由は一生納得のいく言葉は出てこないように思えます。
でも、それが嬉しくなるのはこの思いが揺るぎないからでしょうね。
理由ぐらいで左右されない単純で強い思いがあるからこそ、好きだと自信を持って言える。
そんな気持ちが誰でもない自分にあることが、大切であることの証明になるのかもしれませんね。
少なくとも僕はそんなシンプルな世界であって欲しいなと思います。
10.春が来てぼくら
いよいよシングルもラストであり、何と今回のアルバムで最大のハードルになってしまいました…14thシングル「春が来てぼくら」です。
発売されたのが2018年3月ということで、何と2年半以上経過し、ようやくアルバムに収録されることとなりました。
2年半前といえば、前作「MODE MOOD MODE」の発売とほぼ重なっていたこともあり、どちらかといえばそちらの特色を踏襲している作風といえます。
そのため、この「Patrick Vegee」とは実は相性が悪い曲だったりします。
今作は基本的には人力での演奏…つまり3人が使用する楽器のみでメロディが構成されているのに対し、「春が来てぼくら」ならオーケストラなどのストリングスが多用されている楽曲です。
ライブの演奏でも同期からメロディが始まっており、アルバムのコンセプトとは大きく逸脱した作品となっています。
そこで考えられたのが、今回アルバムの肝にもなっている楽曲同士を繋げることでした。
前曲「弥生町ロンリープラネット」の最後の歌詞である
"そして、僕らの 春が来る"
からノータイムで繋がる編成となっています。
フレーズひとつでそんなに変わるものか…?なんて思ってしまいますが、これが意外とでかい役割を果たしてくれるもので。
冒頭のストリングス音が違和感なくなるほど、楽曲がアルバムに溶け込んでいくんですよね。
これは7月の配信ライブで先行配信されていることが大きかった。
あそこでラストに芸術的な繋ぎを見せられたからこそ、種明かしされても抵抗なく、むしろ歓迎して受け止められた気がしています。
「Cather In The Spy」の「桜のあと(all quartets lead to?)」みたいなコンセプト違いの作品が収録された成果をしっかり見たことがあるけど、こうやって明確に意図を提示されると、また違った見方ができるようになりますね。
曲としては、ツアーや周年ライブでも演奏されているので、もうすっかりライブ要員としての顔も持っています。
アルバム発売後はまた違った使い方をされることも増えてくるはずなので、そこも楽しみにしたいと思います。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
…(無言)
今回のピックアップポイントはこちらです。(真顔)
"神様がほら 呆れる頃きっと暖かな風が吹く"
「春が来てぼくら」は温かなフレーズのオンパレードで、聴く人の気持ちも穏やかにしてしまう楽曲だと思います。
僕も新年度の1発目、4月1日はこの曲を聴いてからスタートしています。
"小さな勇気 前に進め ちぐはぐなら ナナメ進め"
"間違ってないずの未来へ向かう"
"その片道切符が 追い風に揺れた今日は 花"マルだね"
非常に前向きで優しい言葉はがりで、生きる僕らを掬いあげるように救ってくれる曲でもあります。
改めて考えると名曲だし、ユニゾンファンのなかでも好きだと言う人が殊更に多い曲でもあります。
そんな名曲が最後に伝えてくれるフレーズがこちら。
"夢が叶う そんな運命が 嘘だとしても"
"また違う色混ぜて また違う未来を作ろう"
これだけ温かな言葉をかけても、無責任にそこだけを伝えて終わらないのが、個人的にUNISON SQUARE GARDENの1番好きなところですね。
夢は望みは叶わないかもしれない。けれどもそれは違う出来事にいくらでも変容できるし、いつかのどこかで素敵な未来が待っている。
楽曲の雰囲気を壊すことなく、あくまで地に足ついたフレーズでちょうど良い距離感で背中を押してくれる。
これもユニゾンにしかできない技だと思います。
そして、極めつけの今回ピックアップした歌詞になります。
世の中って不思議なもんで、欲しいと願えば願うほど、実現が遠のくなんてことがザラで。
やってやろう!って力を入れるほどうまくいかなかったりするんですよね。
個人的には、そこで諦めるか続けるかで本当に夢が叶うかどうかが決まってくるんじゃないかなって思っています。
要は今テレビとかで見る夢を叶えた人たちって、困難を自分なりのやり方でくぐり抜けた人たちなんだろうなって。
神さまという願っても力になってくれるのかどうかわからないものに頼るんじゃなくて、自分の力で試行錯誤してやり抜く。
もちろんそれで望みが叶うわけじゃないけど、そのための最低条件なんだと思います。
神さまが呆れて見放したときこそ、本当に夢を叶えることができるかもしれない瞬間…ざっくりですがそんな解釈をしています。
自分自身が神頼み含めて、誰かを当てにしたときに上手くいった試しがないので(頼るのは別だよ)、何だかすごく的を得たフレーズな気がしています。
11.Simple Simple Anecdote
いよいよアルバムも佳境に入ってきました。
11曲目は「Simple Simple Anecdote」です。
名前からして、「Cheap Cheap Endroll」を彷彿とさせるタイトルですが、これも同様におまけの様な立ち位置の楽曲だそうです。
ただ、曲としては真逆の性質を持っています。
「Cheap Cheap Endroll」が、"君がもっと嫌いになっていく"
だとすれば
「Simple Simple Anecdote」は、"全部嫌になったなんて簡単に言うなよ"
と同じ"嫌"でもずいぶんと趣きの異なる使い方をされています。
というか、ユニゾンとしてはかなり今までとは方向性と違う楽曲となっていて。
"全部嫌になったなんて 簡単に言うなよ 全部が何かってことに気づいてないだけ"
人生にこの言葉かけられたら、大半の理不尽には立ち向かっていけそうな、そんな素晴らしいフレーズです。
でも、少なく見積もっても僕が好きになったときから、ユニゾンにこんなストレートな歌詞はなかったし、もう少し距離を保った感じだったように思います。
代表的なのが「さわれない歌」です。
"もしも僕が君の前まで来て 何かできることがあるとしても この手は差し出さない きっかけは与えたいけれど"
ファンに寄り添いながらも、相手の領域に入り込むことはしない。
だからこそ、主観的ではない言葉選びに説得力が増す。
それがUNISON SQUARE GARDENの魅力だったと思います。
そのスタンスをちょっとばかり逸脱したフレーズが、アルバムの終盤に入る…距離感が近づいたことに嬉しくもなりますが、人によって心がざわついてしまうような状況です。
ですが、個人的にはあまり違和感を感じてはいなくて、どちらかといえば田淵智也の人間味を感じて好きなフレーズでもあります。
田淵は音楽性やインタビューなどを見る限り、ずっと世間との隔たりを感じてきた人間なのではないかと推察しています。
それは仲が悪いとかじゃなくて、単純に自分が良いと思ったものが万人と共有しづらい…そんな窮屈さみたいなものではないかと考えます。
田淵的にいえば、世の中と気が合わない…でしょうか。
だからこそ、世間に変な期待をせずに、自分が良いと思った音楽を選んたのでは?なんて個人的には思っています。
それゆえに、楽曲にはどこか"諦め"のようなものが漂っているような気もしました。どこか後ろ向きな感じで。
「世界はファンシー」なんてタイトルも、そんな意味合いでの痛烈な皮肉か…?なんて勘繰ってしまうぐらいに。
けれど、それをこの曲はかなり前向きな意味で捉えているように思えてならなくて。
世の中嫌なことばかりかもしれないけど、"好き"や"楽しい"もたくさんある。だから、そこだけ見つけて楽しみゃいいんだよ。
そんな風に言ってくれているように感じました。
何だかそこに途方もなく勇気をもらってしまって。
どれだけ世の中と相容れない部分があっても、自分らしく好きなことをして生きていけるんじゃないか?
そんな前向きな気持ちを芽生えさせてくれました。
これは世界と気が合わずに、それでも自分のやりたいことを貫いていったユニゾンが歌うからこそ、盤石な説得力を生み出したのだろうと思っています。
曲の終盤では、"誰にもわかんないことを解き明かしても 誰にもわかんないまんまでもいいのかも"なんてフレーズが出てきます。
"誰にもわかんないこと"といって、僕が自分のなかでイメージするのは、心ない言葉や理不尽との付き合い方です。
でも、これまでの経験上で出た答えって、結局適切な対処方は何もないんですよね。
1番有効なのは相手にしないことで、これって別に答えを探さなくても見つかることなので。
結局わかんないことはわかんないままでいいっていうのは生きる上で大切な考え方のひとつだと思います。
何だかユニゾンなりの色々な哲学が垣間見える曲でもありますが、こういうのを出し惜しみしなくなったところにも、15周年を経た変化を感じていて。
盛大に祝ってもらったからこそ、祝われた相手の顔をより意識してくれるようになったのかなと。
そして何より強固な繋がりを意識したからこそ、ちょっとやそっと優しい言葉じゃ、今までの距離感は崩れないという自信を感じたのは僕だけでしょうか。
僕自身は前向きなフレーズに喜びを感じながらも、根っこの部分はロックバンドが何も変わらないことは確信しているので、数ある楽曲の大切な言葉のひとつとして受け取ることにしています。
あと、これは完全に余談なんですが、今作はあまりにも"恋"というフレーズが出すぎて、田淵の身辺に何か変化があったのでは…?なんて勘繰ってしまいます。ファンの嫌な心理ですね。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
そろそろイジるネタもなくなってきました。誰か助けてください。
コンカイノピックアップポイントハコチラデス。
"でも泣きたい時に順番待ちもないだろう"
世の中の嫌なところって、不幸の尺度を勝手に決めるところだと思っていて。
あれはダメ、これは良い…誰が決めたかわからない謎の基準で動いてるときがありますよね。
この人はかわいそうだから泣いていいし、あなたはここがダメだから悲しんじゃいけない。
まあすこぶるざっくり例えてしまうと、こんな風に平気で言えてしまう人が意外と多い。
悲しいことは自分自身でしか決まれないし、そこに落ち込むかどうかはこれまた個人の自由であって。
結局他人にできるのは、その感情に寄り添うことだけ。人の感情を操ろうなんて、控えめに言っても傲慢ですよね。
優しくない世界は慣れっこだし、別にほっといてくれても良い。
でも、嫌なことがあったときぐらいそっとしておいて欲しい。これもまた自然に湧き出る感情だと思います。
それでも周りの目が気になって、泣けない人はたくさんいるんだろうなぁ。
僕はもともとあまり泣けない人間なので、せいぜい悔しいときぐらいしか涙は出ないんですが、泣きたくなる瞬間はいっぱいある。
そんなときに嫌な言葉をかけられたら、その感情に蓋をしてしまうし、何とか気づかないように目を逸らしてしまう。
そうなったときに起こり得るのが、溜め込んで溜め込んで、いつの間にか体を蝕んでいること。
ふとしたとき立ち上がれないし、歩くこともできない。止まったままで何もする気が起きなくなってしまう。
田淵の言葉を借りるとすれば、"心が死んでしまう"ということでしょうか。
適切なタイミングで適切な対応をしないと、体も心も不調をきたしてしまう。
ちょっと考えたらわかることだけど、意外と追い詰められてると気づかなかったりするんですよね。
多分僕以外にもそんな人は大勢いるはず。
だからこそ、このフレーズが刺さると思う。
泣きたいときなんて、我慢できることじゃないし、そこで発散できないと意味がない。
それぐらいに生きる上で大切な作業です。
それを順番待ちで片付けようなんて、これ以上理不尽な話はないし、きっとそんなことができる人はほとんどいない。
そんなはっきりいえば"間違い"を結果的に訂正できるようなフレーズを携えたことが、個人的にはとても嬉しくあるのです。
12.101回目のプロローグ
"ごめん、全然聞いてなかった"
なんていうユニゾンらしさバリバリのフレーズから始まります。
アルバムをラストを飾るのは「101回目のプロローグ」です。
「Patrick Vegee」の特徴のひとつとして、比較的短い曲で構成されていることがあります。
12曲中3曲が2分台で終わる曲であり、その他の曲も3〜4分台でほぼ纏められています。
曲間の繋ぎも含めて、テンポよく聴き進めていけることが、このアルバムの持ち味にもなっています。
それに対して、この曲は何と合計5分38秒と他の曲と比べて明らかに長い構成となっています。
田淵が組曲みたいな構成にしたいと考えていたとのことで、めまぐるしくメロディが変わっていきますが、その結果何とHメロぐらいまであるとのこと。(正確な数は不明ですが)
その作り込み具合に当初はこれがリード曲で良かったんじゃないのか?なんて思ったぐらいです。
そんな凝った曲ではありますが、タイトルに"プロローグ"とある通り、最後に配置されながらも始まりの様な意味合いを含んだ曲になっています。
プロローグは序章を意味しますが、果たしてどんな意図があってこんなタイトルを持ってきたのでしょうか。
1番わかりやすいのは、16年目の始まりを意味しているから。
2019年の15周年を経て、2020年は普通のロックバンドに戻ることを宣言していました。
だからこそ、今一度そのスタンスを明確にするため、こんなタイトルをつけたのでは?というのが1番あり得そう。
だからこその"よろしくね はじまりだよ"なのかもしれません。
何より16年目に歌う"本当の気持ちを話すのは 4年ぐらいは後にするよ"は、来るべき20周年を意識しているようで、何だか色々と邪推してしまいますね。
個人的には20周年記念ライブの1曲目の最有力候補になりました。
そして、ファンの間で良くも悪くも物議を催したのは、このフレーズです。
"君だけでいい 君だけでいいや こんな日を分かち合えるのは"
ユニゾンとしては珍しく聴き手に向けて言っているように感じ取れるフレーズです。
あまりこうやって誰かに向けて歌う曲って存外なかったので(抽象的な誰かいたことはよくあるけど)、具体的な対象がいるこの曲はファンのなかでも受け取り方が千差万別だったような気がします。
ただ、UNISON SQUARE GARDENは自分たちのために音を鳴らすバンドではあるけど、同じぐらい誠実なバンドではあるので。
聴き手に触れてこなかった今までも、曲のフレーズの端々をつなぎ合わせていけば、似たような言葉はいっぱいあるように思います。
いくつか例をあげるとすれば、
"今、目の前の君が明日を生きれるぐらいには"/桜のあと(all quartets lead to the?)
"君の命は必要なんだよ"/流れ星を撃ち落とせ
などなど…さりげなくデレてるフレーズは探せば意外とありそう。
あくまでその延長戦上の出来事だし、ユニゾンが同じ手法を使うことはまあ稀なので、次作はきっとまた同じ…いや、むしろ今でよりも遠い距離感で何かを企んでいるかもしれない。
あともし、今回の距離感の近さに理由をつけるとすれば、この曲が最後まで聴いた人にとってのご褒美みたいなものっていうのがありえるのかも。
田淵がインタビュー等で触れていましたが、これだけ凝った曲をアルバムの最後に配置した理由が、曲を全て聴いた人が行き着くご褒美にしたかった意図があるそうです。
そう考えると、後半になるにつれて優しい曲が増えていった理由も説明することができるし、これだけストレートなフレーズが続くことにも少し価値を見出せるかもしれません。
近づく…まではいかないけれど、彼らが気まぐれにしゃがみ込んでくれた瞬間を知ることができたのは、アルバムの全てを体感したからこそ。
そう思うと、この不思議な終着も個人的には素晴らしいものになったのではないかと思ってしまいます。
〈ナツノヒ的ピックアップポイント〉
あーついにこのタイトルのまま最後まで来てしまいました。結局最後までダセェ…笑
というわけで最後までお付き合いください。
最後のフレーズはこちらになります。
"魔法が解けるその日まで"
UNISON SQUARE GARDENで魔法といえば、「シャンデリア・ワルツ」の、"わからずやには見えない魔法をかけたよ"を連想する人が多いと思います。
かく言う僕もその一人です。
ロックバンドはいつも僕らに素敵な魔法をかけてくれるし、現状それが解ける気配は1mmもありません。
けど、それは当たり前ではなくて。
幾重の奇跡が重なって、初めてロックバンドの音楽が魔法たり得るのだと感じる場面は今年は特に多かったです。
本当に何かを好きになるっていうのは奇跡的なことなんだなとヒシヒシと感じます。
だからこそ一生とか永遠とかいうフレーズに心奪われることは多分ないだろうし、正直言って嘘くさく思えてしまうのが本音です。
きっとどこかでこのロックバンドとの縁は切れる。
多分理由は飽きるか死ぬか、環境が変わるのかのいずれかだとは思うけど、それがいつ誰に起こるのかは正直わからない。
僕かもしれないし、はたまたユニゾンの3人かもしれない。
でも、この魔法が永遠じゃないことがわかっているのが、自分のなかではけっこう大きい。
誤解がないように言わせてもらうが、決して悲観的に捉えているわけではない。
当たり前じゃないからこそ、この奇跡のありがたみを理解できるし、思う存分満喫することができる。
自分にとっては音楽が触れずにはいられない大切なものであることを実感できるから。
彼らの音を近くで見られる価値に気づけたことは本当に人生のなかでも僥倖だった。
きっとユニゾンもそれが永遠だとは思っていない。
だからこそ、魔法という言葉を今一度使って、僕らとの縁を表現したのだと思う。
僕らはロックバンドを介したただの共犯関係にしかなり得ないのだから。
せめて魔法が消えてしまうまでは、同じ世界に居合わせたいし、その素晴らしさを共有したいと感じました。
ただ、まだまだロックバンドの魔法が消える気配はないので、これからも純粋に楽しみ続けることは声高に言いたいけどね。
というわけで全12曲のディスクレビューが終了しました。
前後編合わせて、まさかの35000字…読み応えだけは無駄にあるのが何だか申し訳ないですね。
とはいえ、ここまで読んでいただいた方には感謝しかありません。
また感想など教えていただければ幸いです。
本日はいよいよカウントダウン配信ライブということで、「Patrick Vegee」のアルバム再現ライブもあります。
この記事が今日に上がったことも何かの縁なので、改めてライブとして聞くことができるのを楽しみたいと思います。
ではでは、そのときまで残り数時間…震えて待ちましょう。